旧石器時代とは

公開日 2019年07月02日

 

旧石器人達の暮らし

旧石器時代とは今から約3万8千年前から1万6千年前の約2万2千年間をいいます。人々はまだ土器を持たず、主に打ち欠きによって作られた石器(打製石器)や動物の骨や角を用いて作られた骨角器(こっかくき)を使い、狩猟や採集活動を行っていました。定住はせずに、テントのような軽易な住居によって食料となる獲物(今では絶滅して見られない大型哺乳類など)や木の実等を求めてたえず移動を行いながら生活をしていた時代です。しかも当時は氷河期という寒冷な気候であり、また火山活動も活発で頻繁に火山灰が降り注ぐ非常に厳しい環境下での暮らしでもありました

  

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【後期旧石器時代前半期(墨古沢遺跡の頃)の風景(想像図)】

年間平均気温は7~8度低く、台地上には針葉樹を中心とした森林帯が広がり、現在でいえば標高約1500mの風景が広がっていたと考えられます。

墨古沢遺跡でも発掘調査で出土した炭化材の樹種同定やプラント・オパールの分析などから、周辺に針広混交林が広がっていたと推察されています。

(図は2004『印旛の原始・古代-旧石器時代編-』印旛郡市文化財センターより引用)


 

 

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【旧石器時代に生きていた大型哺乳類】

陸続きとなった大陸から、現在では絶滅して見られないマンモス・ナウマンゾウ・オオツノジカなどの大型獣が渡ってきて生息していました。これらの動物は重要な食料源であったばかりではなく、骨や角は加工して道具として使われました。

(図は2004『印旛の原始・古代-旧石器時代編-』印旛郡市文化財センターより引用)


 

墨古沢遺跡の時代、後期旧石器時代前半期

墨古沢遺跡に旧石器時代の環状ブロック群があった時代は、気候が寒冷化に向かい年ごとに大きく変動していました。海抜は現在よりも約80mほど低く、本州・四国・九州は地続きになり一つの島を形成していましたが、この島は大陸や北海道とは海で隔てられていました。

そして、この時代こそ、私たちの祖先ホモ・サピエンスが海を越え日本列島に到来・定着した時代なのです。ホモ・サピエンスは30万年~20万年前にアフリカで誕生し、8万年~5万年前にアフリカから世界中へ拡散を開始します。約4万5千年前にはヨーロッパや中央アジア・オーストラリアへ到達し、約3万8千年前に朝鮮半島から海を越えて日本列島へ到来しました。(なお、ホモ・サピエンスの拡散については今日も精力的な研究が続けられており、これからの年代についても今後の研究成果により大きく変わることが予想されます。)

 

(図は印旛郡市文化財センター 2004 『印旛の原始・古代-旧石器時代編-』、国立科学博物館編 2016 『世界遺産ラスコー展』、NHKスペシャル「人類誕生」制作班編 2018 『人類誕生』をもとに作成)

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