「酒々井風土記 -酒々井宿物語-」のタイトル

16 勝蔵院とお不動様
のこと

「17 東台の不動堂のこと」のタイトル

18 横町ニ寺ニ社のこと

佐倉の殿様戸田能登守忠昌の奥方様が難病にかかり、薬のききめがなく困っているとき、殿様は酒々井の不動尊に祈願すれば治るという夢を見ました。そこで酒々井の東台にあった、ささやかな不動堂を探しあて、近くの観乗院境内へ不動堂を移し、たくさんの僧により祈願しました。すると十七日で奥方様の難病は治りました。殿様はたいそう喜び不動堂を新しく造り直すこととしました。

その翌年にお殿様は亡くなってしまいましたが、跡を継いだ息子である忠真様が遺志を継ぎ、別の場所に新しく不動堂を立て不動明王像も新しく造りました。その不動堂が仲宿の勝蔵院です。

『印旛郡誌』 大正二(1913)年現代語訳

消えたお寺

酒々井村の東台(中央台三丁目)は戦国時代、千葉氏の家臣の屋敷が並んでいた場所で、この南側に「不動堂」がありました。千葉氏が滅ぶと家臣の屋敷もなくなり「不動堂」だけが取り残されて建っていました。

それから百年後の古文書には「元禄十三年、不動堂を東台山より観乗院[かんじょういん]境内に移転し、三月二十五日に入仏式を行った」とあります。

不動堂と呼ばれる戦国時代からのお寺が東台にあり、元禄十三年に観乗院に移転したことは確かめられますが、移転後の不動堂の不動明王はどのようになったかは残念ながらわかりません。

また観乗院も寛保三(1743)年に焼失してしまい記録は残っていません。

「享保八(1723)年 酒々井村寺社書上帳他」


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